『ムーンライト』の歌詞について考えてみた

 

 

 

ジャニーズWEST重岡大毅くんが作詞作曲した『ムーンライト』の歌詞を自分なりに考えて解釈してみた

 

 

 

最初この曲を聴いた時はマジ…重岡大毅……こいつとんでもねぇラブソング書きやがった(屍)」と思っていた。だって『世界が止まっても 僕は止まりゃしないんだ』世界が終わっても 君を終わらせないんだ』ぜ?しかもそれを『ここだけの話をしよう』って言って私だけに話してくれるんだぜ??えっと、…私いつからしげおかくんの彼女になったっけ???(は)

重岡くんがあまりにも盛大でロマンチックなラブソングを作るものだから、ここ最近、そりゃあもう毎日のように聴きまくってた。いやぁ、なんか不思議だよね。それまで「重岡くんが作った曲…楽しみすぎて逆に聞くの怖い、」ってCD発売されてからもしばらく放置してたというのに。今や通勤時これしか聞いてないの。このハマり様、流石に自分でも怖いなと思ったりした。

 

そんな中で毎日この『ムーンライト』を聞いてるうちに次第にこれは現在の自分があの頃の自分を思い浮かべながら綴った、過去の自分への手紙なんじゃないかと思う様になった。ほら、昔よくあったでしょ?二分の一成人式の時に「20歳の自分(未来の)自分にお手紙を書いてみましょう!」ってやつ。あれの逆バージョンって言ったらいいのかな。

でも明らかに違う点は過去の自分が未来の自分に綴った手紙は未来の自分へ届くけれども、未来の自分が過去の自分に向けて綴った手紙が過去の自分に届くことはたとえ天地がひっくり返ったとしても起こらないことなんですよね。あ、実はこの世界にはパラレルワールドがあって〜とかタイムスリップして届けるとかそういうのはなしね?そういうのを抜きにして考えた時に、何をどう足掻いたとしても一生届くことのない手紙に何とも言えないもどかしさを感じたと同時にどこか大人の覚悟のようなものを感じたんですよね。

 

...と、ここまで前置きが長くなってしまいましたがここから先は歌詞と照らし合わせながら具体的な話をしていきたいと思う。

 

 

 

まず始めに、私はこの『ムーンライト』の歌詞を大きく二つのブロックに分けてみた。

①過去

②現在

以下にブロックごとに分けて歌詞を噛み砕いていきたいと思う。

 

 

 

 

 

①過去

 

手を突っ込めばポケットの中 宇宙行きチケット
縁石に乗り込み青空へ やじろべぇしよう

真昼間の月に僕は種を植えに行くんだ
誰も見ちゃいないし 見たこともない
花を咲かそう

どこまで行こうか まだ何も決めたくないな
どこまでも行けそうな気がしてさ Not yet
知らない明日へセイグッバイ
今だけは歌ってたいや
ここだけの話をしよう
世界が止まっても 僕は止まりゃしないんだ

 

この過去に該当する歌詞は全てただただ過去の自分(子供の頃の自分)が体験したこと・思っていたことを事実として切り取って記しているシーンだと私は解釈しました。

例えば、何でかよくわかんないけどあの細い縁石の上に乗って「危ない危ない!」ってなりながらやじろべぇのように手伸ばしてバランスとって渡りきってた時のこととか。別に渡りきったって何もないのにね。寧ろ親御さんから「落ちると危ないからやめなさい!」って怒られてた人も多いんじゃないかなって思う。今振り返ってみれば「なんでそんなことにハマるの?」って思ってしまうようなことに対しても、何も考えず夢中になって永遠に続けられるって子供ならではのことだと思うんですよね。大人になると何かをやる前に嫌でもまず頭で考えるようになっちゃうからさ。

あと子供の頃の夢って無限大じゃない?例えばアイドルになりたいとかプロ野球選手になりたいとかサッカー選手になりたいとか。大人になって考えると「いや〜それはちょっと...」って思うようなことでも目をキラキラ輝かせてその夢が当たり前のように叶うと信じて疑わない。子供のパワーってすごいなぁって思う。この『真昼間の月に僕は種を植えに行くんだ 誰も見ちゃいないし 見たこともない 花を咲かそう』の歌詞の部分も夢とはまたちょっと違うかもしれないんだけど、でも大人からしてみれば非現実的なことでもやってのけるという子供の無邪気さと、あとはガッツとパワーと勢いがすごいなぁと思ったりした。正に僕(過去の自分)は止まることを知らない怖いもの知らずといったところでしょうか。

 

 

 

 

 

②現在

 

少年たちがいた
あの頃の僕らだ
季節外れのTシャツで
何だって出来るって そう思えたっけ

 

ここから先の現在に該当する歌詞は過去の自分(子供の頃の自分)が体験したこと・思っていたことに対して現在の自分(大人になった自分)の気持ちを重ねているシーンだと私は解釈しています。

例えば『何だって出来るって そう思えたっけ』の歌詞の部分。さっきの①過去に記したことと重複するけど何でも出来るって当たり前のように思って信じて疑わなかった、あの頃の純粋で何色にも染まっていない自分を懐かしく思うと同時に羨ましくも思ったりしているのかなぁって。

 

真昼間の月に種を植えてみたくなったのは
いつか君を襲う夜の底 一輪の光を 

 

ここの歌詞の部分、実は①過去に入れるか個人的にはすごく悩みました。でも君=過去の自分(子供の頃の自分)に当て嵌めることで自分の中ですごく腑に落ちたんですよね。

何だって出来るって思ってる君=過去の自分(子供の頃の自分)にもいつかはきっと、挫折したり上手くいかなかったり悩んだりする時が訪れるだろう。だからその時は、そんな君=過去の自分のことを優しく照らす一輪の光を作りたいと現在の自分(大人になった自分)は思ったんじゃないかなって。そう、現在の自分が思い描く夢にしてはあまりにも非現実的な夢だけど。でも子供の頃の無邪気な夢種を植えに行くんだから、種を植えてみたくなったと歌詞が変化していることから、私は種を植えに行くことは実際には不可能で非現実的なことだと頭では分かっているんだけれどもそれでも夢を見てしまったという風に捉えたんだよね。この変化こそが正に現在の自分が様々な経験を積んで成長し大人になった言わばなんじゃないかなぁと思ったりもした。

 

どこまで行こうか まだ何も決めたくないな
どこまでも行けそうな気がしてさ Not yet
知らない明日へセイグッバイ
今だけは歌ってたいや
ここだけの話をしよう
世界が終わっても 君を終わらせないんだ
Not yet 

 

そして歌詞は再びサビへと戻る。過去の自分を振り返りながら、もう一度あの頃の自分みたいに何も考えずがむしゃらに頑張ってみたらいいじゃないかと現在の自分が前向きに進もうとしていることが歌詞からも読み取れる。

と同時に世界が終わっても 君を終わらせないんだの部分、このの部分を再び君=過去の自分(子供の頃の自分)として考えた時に、この最後のサビの部分は現在の自分(大人になった自分)が君=過去の自分(子供の頃の自分)に向けて綴った決意表明なのではないかと思った。『世界が止まっても 僕は止まりゃしないんだ』過去の自分がいたからこそ現在の自分がいるわけで、じゃあその過去の自分に現在の自分がどう恩返しできるかって、それは君=過去の自分を過去のままで終わらせないことなんじゃないかなって。そういう意味でのNot yetまだまだ終わらない、自分という道はこの先もずっと続いていくってことなのかなぁと。そうです、これは過去の自分に向けた決意表明であると同時に、壮大なラブレターでもあるんだよね。あと当たり前のことなんだけど、過去の自分現在の自分もどちらも自分なのであって、自分にしか分からないことなんですよね。だからここだけの話をしようの歌詞も=自分にしか分からない話という風に解釈できる、そしてその話っていうのはあくまでも現在の自分が過去の自分に向けて綴っているわけだから過去の自分には一生届かない、言わば自分しか知らない話とも解釈できる...というか私はそう解釈したんですよね。いやこれマジですごいと思う。知ってたけど重岡くんって天才なのかな...?(世界の常識です)

 

 

 

 

 

...とまぁここまでダラダラと特にオチも笑いもない自己解釈という名の妄想を語ってきたわけだけど、まとめると私は重岡くんが作る歌詞が好きで重岡くんの作る世界観が好きってことです(なら最初からそう言え)。歌詞って人によって色々な捉え方があると思うんだけど、重岡くんの作る歌詞は人によって捉え方が違うという点を特に大切にしているなぁと個人的には思っていて。すごく現実味があって情景が容易に想像できる歌詞(やじろべぇのくだりとか)に敢えて全てを言わず曖昧にぼかした歌詞を加える、その両者のバランスが絶妙ですごいなぁっていつも思いながら聞いてます。うん、やっぱり天才。推し天才。最高。というわけで重岡くん、

 

 

 

 

 

次回作も楽しみにしてます!!ね!!!(気が早い)

(あといつかPCにある下書きとか作りかけの曲とか見せてくれ)(無理)

 

 

 

 

 

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